宮地悠紀 波乱万丈!建築との人生!
こんにちは。代表の宮地悠紀です。
建築との宿命
私は生まれた時から住まいづくりの職人さんに囲まれて生きてきました。父が大工の棟梁だったからです。
小さいころは大工さんの作業場や貯木場、工事現場が遊び場でした。
父親から強制的にさせられて、しかたなく始めた建築でしたが、今から思うと生涯を通して一時も建築と自分が離れたことがありません。
化学物質過敏症になって倒れるたびに何度もやめようと思っても、なぜか引き戻される住まいづくりとの宿命を感じざるをえません。
厳格な父親
昔の大工の棟梁ですから厳しさは人一倍でした。父も単身鹿児島から裸一貫で上京し一代で工務店を築き上げました。
両親からの体罰と女に生まれたという言葉の暴力・・・幼少期の過酷な体験が強靭な私をつくる礎となりました。
勉強が大好きでも女に学問はいらないと、大学には行かせてはもらえませんでした。
建築は現場と独学で学び、観て、感じて学びました。
学歴コンプレックスが逆に私のパワーとなり今の私の源になっています。
現場と職人さん
いつも現場と職人さんが私の先生でした。
誰も何も教えてくれませんでしたから自分で学ぶしかありませんでした。
けれども建築の世界は男社会ですから「現場に女は入るな!」と言われたり、無視をされたりと、悔し涙を流した時代もありました。
普通の主婦から社長の右腕に・・・
23歳で結婚して普通の主婦が父親の強制でしかたなく始めた建築でした。
父の経営する工務店で、いつしか15年の歳月が流れました。
その間、現場監督、設計、積算見積、お客様との打ち合わせ建築のすべてを学ぶことができました。
長い現場経験を重ねて、気付いたら私は社長の右腕になっていました。
父親という檻からの脱出
40歳の時、父との口論から突然、父の工務店を辞めざるを得なくなりました。
父の会社でゼロから築いたリフォーム専門部門やお客様・・・
17年間で築き上げた、全てを手放すことになりました。
その時の喪失感は、計り知れないものでした。
父親の会社を辞めて親子4人どうやって食べていくのか?
私は、私が社長になって建築会社を起こすことを始めは拒みました。
建築会社を経営していくことの大変さをいつもそばで見て知っていたからです。
しかし、拒む私をよそに、周りでお膳立てがされて建築で起業せざるを得ない状況になってしまいました。
ゼロから起業!そしてメディアに注目される女性社長へ・・・
「どうせ、1年くらいで泣きついて戻って来るよ・・・」
職人さんたちの間にあっという間に広まり、父の手前もあって誰も助けてくれませんでした。
起業した初めの3年間は死に物狂いで働いても一家四人育ち盛りの息子二人が食べるお米も買えない時もありました。
転機は会社名を㈱女性建築家チームに変更して業態をガラリと変更した瞬間にやってきました。
女性建築家30人とのコラボレーション!
私が女性に生まれたというコンプレックスと大学で建築を学んでいないというコンプレックス、そこから女性建築家さんとお仕事したいとう発想が芽生えました。
そして、誕生したのが女性建築家チームです。
それから、ある有名な雑誌に小さな記事を載せていただいたことがきっかけで、テレビ、ラジオ、雑誌などマスコミからの取材が殺到したのです。
私はいつしかメディアで注目される女性社長になっていました。
お仕事はやりきれないほどありましたのでお休みなしで、睡眠時間は3時間くらいの毎日でした。
同時期に、化学物質過敏症というアレルギーもやってきました。
化学物質過敏症になって・・・
化学物質を吸ってしまうと一瞬で意識を失いました。
一度意識を失うと一週間ふらふらで動けなくなりました。
動けるようになって現場に行き、また化学物質を吸って、また意識を失って・・・の繰り返しでした。
いくらデザインの優れた住まいをお客様に提供しても私が倒れてしまう住まいは、おかしいと、自問自答の日々が続きました。
ひどい時には、車の排気ガスで道路で倒れ、
お客様の家で打合せ中に室内の芳香剤で倒れ、
トイレの芳香剤で倒れ、
コンビニやスパーにも入れず、
美容院で倒れ、
病院で倒れ、
バスや電車にも乗れず・・・
意識を失って・・・すべての身体機能が働かない状態になりました。
そんな、日々を繰り返していましたが、自分の身体のことより会社のことで頭がいっぱいでした。
愛する家族、愛する会社、愛する人たち、愛する住まい、財産、名誉、地位、アイデンティティ・・・
私が大事にしていた全てを一瞬にして手放す!
主人との口論から私の大事にしていた全てを手放さざるを得ない瞬間がやってきました。
人のうらやむ様なおしどり夫婦で30年間の夫婦生活が一瞬で信頼関係が崩れました。
私は、自分の財産を全て差し出すのを条件に離婚届けに印鑑をいただきました。
一刻も早く、主人から逃げないと身に危険が迫っていましたので、ひとりで逃亡計画を立てて実行しました。
私が逃亡した後、会社は倒産!
そして私は逃亡生活となりました。
葛藤の6年間!
自分が掲げた夢をほとんど実現してきた私・・・何でも実現してきた私が、何もできない状態になりました。
いくらポジティブ思考で頑張っても・・・頑張れば頑張るだけもがき苦しむことになりました。
理想を掲げて実現してきた私が・・・日常生活すらできない状況になりました。
化学物質過敏症も並行して状況が悪化し、生活保護のお世話になる以外に生活することができない、奈落の底に突き落とされました。
かつて、自己実現の教科書通りに実現した経験は何だったのか?
こんなはずがない!!
葛藤の6年間・・・毎日、毎日、苦しい日々が続きました。
人生の最大のギフト
葛藤した6年間は私の人生にとって最大のギフトだったと気付くことができた時、新たな門が開きました。
心の底から、全ての出来事や地球上のすべてのものに感謝することができた時に天からもう一度、会社設立の許可をいただいた感じがしています。
代表メッセージ
多くの人たちに多大なご迷惑をお掛けして、多くのひとたちから多大なご支援をいただいて奈落の底から這いあがることができました。
そして、今、また恩返しをする機会をいただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
私たちの使命は先進技術と共生する自然素材生活産業の構築です。
それを私たちはホリスティック建築と呼ぶことにしました。
自然素材の建築は、昔にさかのぼるのではありません。
新しい技術を取り入れながら、人が中心の人にやさしい建築をめざします。
排除するのではなく共存していく道を常に探求していきたいのです。
そしてより素晴らしい世界のために、常に挑戦していきます。